印順導師年表(B1)
印順導師年表(B1)
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年表(略伝)
展示室に入ると、弧を描く展示壁に沿って、印順導師の年表が長い巻物のように広がります。落ち着いた僧衣の色調の展示壁は、導師の厳格で質素な生き方を映し出しています。テーマパネルでは自伝を要点ごとの出来事にまとめ、文章、古い写真、自らとの対話を組み合わせて、経論の思想の重みを伝えています。
導師は生涯にわたって仏法の研究に打ち込み、750万字に及ぶ大著によって中国仏教に希望の灯をともし、尽きることのない法の喜びを映し出しています。
一、生命の惑い(1906〜1929)
青年時代と生命の探究
俗名を張鹿芹という印順導師は、浙江省海寧に生まれました。肉親との死別と内面の孤独を経験した後、生死という究極の問いを探究し始め、縁あって仏法に出会い、生命の疑問を解き明かす探究の旅を始めました。
二、求法の道へ(1930〜1940)
剃髪出家と経蔵への沈潜
1930年に普陀山で剃髪出家した後、導師は閩南の地や武昌仏学院、漢蔵教理院で学び、広大な三蔵に深く分け入りました。当時の世俗化や迷信の風潮を前に、導師は「仏法の根本を尋ねる」ことを志し、仏陀がこの世に現れた清らかな本意を明らかにしようとしました。
三、人間に仏を見いだす(1938〜1951)
経蔵の探究と思想の転換
第二次世界大戦の戦火が広がり、国が揺れ動く中、経蔵の中の『阿含経』が放つ、生命に寄り添う真実さと親しみが導師を深く引きつけました。それが、人間世界に根ざして「人間仏教」を推し進める思想と誓願を呼び起こしたのです。
四、慈悲をもって法を弘め、有情を覚ます(1952〜1963)
来台しての弘化と思想の基盤
各地を奔走した歳月でした。この12年間、印順導師はまず香港に移り、のちに台湾に定住しました。日本、タイ、東南アジア各地にも赴き、布教や寺院の建立などを通じて仏法を広めました。この間、福厳精舎と慧日講堂を創建して僧侶の育成に力を注ぎ、広く衆生を救おうとする菩薩の悲願を深く示しました。
五、妙雲の法雨、人の世を潤す(1964〜2005)
大著の完成と思想の継承
国内外での弘法を経て、導師は閉関して研鑽に沈潜し、『妙雲集』をまとめ上げ、『中国禅宗史』によって日本の大正大学から博士号を授与されました。晩年も執筆を続け、『華雨集』などの大著を次々と完成させ、90歳でようやく筆を置きました。2005年、導師は百歳の高齢で示寂しましたが、「身心を衆生に捧げる」その精神は、今なお華人仏教界に深い影響を与え続けています。
印順導師略歴
印順導師は浙江省海寧の人で、1906年旧暦3月12日に生まれました。俗名は張鹿芹。1930年10月11日、福泉庵の清念老和尚のもとで剃髪し、法名を印順、内号を盛正といいます。まもなく天童寺に赴き、具足戒を受けました。
導師は学識に優れ、行いは清らかで、国内外の仏教徒から等しく敬われました。1967年には中華学術院から同院の「哲士」の栄誉称号を、1973年には日本の大正大学から、『中国禅宗史』の独創的な見解により博士号を授与されました。
若き日には太虚大師に従って仏教教育に携わりました。来台後は中国文化大学教授、善導寺・福厳精舎の住職、福厳仏学院・慧日講堂・華雨精舎の導師を歴任しました。また幾度も海外で弘法し、香港仏教会の主席、フィリピン能仁中学の校長、信願寺・華蔵寺の上座を務めました。数十年にわたり研究と著述に力を惜しまず、数十種の書を著して学界に名を馳せ、晩年も大著を次々と世に出して、国内外の学界から特に重んじられています。インド仏教思想の整理と位置づけ、中国禅宗史の解明において、その見解は独自のもので、世の通説とは大きく異なります。唐末以来、肩を並べる者はほとんどいません。のちに導師は妙雲蘭若を築いて閉関し、修行と著述に専心しました。その徳化はますます高まり、現代の国際的な仏教学の大家、国の宝となりました。
弟子 妙峰 謹書 1991年10月27日印順導師年譜
- 1歳(1906年)浙江省海寧県に生まれる。俗姓は張、名は鹿芹。 1 歲(民國前 6 年)出生於浙江海寧縣,俗姓張,名「鹿芹」
- 25歳(1930年)剃髪出家。法名は印順、号は盛正。 25 歲(民國 19 年)落髮出家,法名印順,號盛正
- 47歳(1952年)台湾に渡り、台北・善導寺の導師となる。 47 歲(民國 41 年)來臺灣,擔任台北市善導寺導師
- 48歳(1953年)新竹に福厳精舎を創建。 48 歲(民國 42 年)在新竹創建福嚴精舍
- 52歳(1957年)壹同寺女衆仏学院の院長に就任。 52 歲(民國 46 年)任壹同寺女眾佛學院院長
- 55歳(1960年)台北に慧日講堂を設立。 55 歲(民國 49 年)在台北成立慧日講堂
- 59歳(1964年)5月26日、嘉義・妙雲蘭若にて閉関し、執筆に専念。 59 歲(民國 53 年)5 月 26 日於嘉義妙雲蘭若掩關寫作
- 60歳(1965年)中華学術院より「哲士」の栄誉称号を受け、台湾初の比丘教授となる。 60 歲(民國 54 年)中華學術學院授以哲士榮銜,為全台首位比丘教授
- 68歳(1973年)『中国禅宗史』により日本の大正大学から博士号を授与され、中国初の博士比丘となる。 68 歲(民國 62 年)所著《中國禪宗史》獲日本大正大學授於博士學位,為中國第一位博士比丘
- 73歳(1978年)台中・太平郷の華雨精舎に移る。 73 歲(民國 67 年)移居台中太平鄉華雨精舍
- 90歳(1995年)執筆を終える。生涯の著作は750万字に及ぶ。 90 歲(民國 84 年)停筆寫作,畢生著作七百五十萬字
- 100歳(2004年)3月5日、総統府より「二等卿雲勲章」を授与される。 100 歲(民國 93 年)3 月 5 日受贈總統府「二等卿雲勳章」
- 101歳(2005年)6月4日、安らかに円寂。総統府より褒揚令が贈られる。 101 歲(民國 94 年)6 月 4 日安詳圓寂,總統府頒贈褒揚令
- ※年齢は数え年による。 *年齡依傳統虛歲計算